2014年1月14日

[2014年1月14日] 第6回 スタンリーのお弁当箱/Stanley Ka Dabba

第6回 インド映画研究会
  • 日時: 2014年1月14日(火)16:00~19:00
  • 場所: 京都大学総合研究2号館4階415教室
  • 題材: スタンリーのお弁当箱/Stanley Ka Dabba(2011年、96分、日本語字幕)
  • 報告者: 渡部智之(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程)

 「スタンリーのお弁当箱」は、インド映画には珍しく、短編でミュージカル的な歌やダンスを取り入れずに作られた作品であった。2007年のヒット映画「Taare Zameen Par(地上の星たち)」で脚本デビューしたアモール・グプテは今回、製作・監督・脚本のすべてを手がけるとともに、自らも国語教師ヴァルマー役として出演している。この作品は、当初、映画のワークショップのために少額の資金および少人数のスタッフで撮影されたものであったが、有名な映画プロデューサーであるカラン・ジョーハールの目にとまり大手映画会社から配給されることとなり話題となった。
 この作品の舞台は、実際にムンバイに存在するHolly Family High Schoolというキリスト教系の私立学校であった。監督の息子であるパルソー・グプタ演じる主役スタンリーは、家庭の事情によりお弁当を持って来ることができず、友達の弁当を分けてもらいながら過ごしていた。しかし、それに目をつけたヴァルマーはスタンリーをいじめ、ついにはスタンリーが学校に来なくなってしまったのである。この映画はそこから友人などのサポートを受け、スタンリーが自らの才能を発揮できる場をつかみ、再び学校生活に戻っていく姿を描いたものであった。
 報告者は、全体を通じて、この作品は現代インドの教育現場で生じる子どもの間の差異や格差、児童労働などの幅広い問題までを、生活の基盤となる食事(弁当)から重苦しくなく描いた作品であるという印象を持った。特に気になった点として、ストーリーの端々で、周囲と自らの差異や格差を自覚するスタンリーが周りの友達との関係性を保つために、母親や家族を理由とした言い訳を多くしていたことであった。そのため、この作品をヴァルマーからのいじめとの闘いのみで捉えるのではなく、社会一般に通底する「母親のいる家族」という言説とスタンリーとの闘いと見ることができると考えていた。しかし最後に児童労働に関するテロップが出されたこととのギャップがあり、違和感があったことを述べた。
 また、前述したインド映画の特徴が見られないこの映画がヒットした理由に関して、映画の観客層となる中間層の親たちにとっては、スタンリーの学校生活を見て、型にはまった教育を再考する自らの教育への関心と一致する部分があったからではないかと述べた。さらに中間層の親以外にとっても、自分と周りとの違いを自覚しながらもその関係性の中で生きていこうとするスタンリーに共感する部分があったからではないかと論じた。
 以上の報告およびこの作品に対して、出席者からは次のようなコメントがあった。まず、インド映画全体に見るこの作品の位置づけに関して、2001年頃からの子ども向け映画の潮流に位置づけられるが、児童労働など社会問題を取り入れ一般向け映画としての要素も複合した作品であった。特にこれまでインド映画の弱点であった子役の演技力も高く、評価できるものであるという意見があった。また、この作品全体の主張に関して、この作品には、子どもの教育のあり方、先生からの暴力、児童労働、児童虐待、格差など、演技から直接見て取れるテーマから抽象的なテーマまで幅広く埋め込まれているという点の理解は共通していた。この点に関し、スタンリーの言動からインド社会・文化を理解できる部分もあるという評価があった。一方で、常に善意に満ちた創造的な存在として描かれる子ども像、そうしたリアリティの欠如に対する違和感や、幅広いテーマを盛り込むことで生じる場面設定の不自然さに対する批判の意見もあった。最後にこの作品がヒットした理由に関して、子ども向け映画でもあるこの作品を見に行く場合に、大人だけが見に行く映画よりも観客数が増える点も考慮する必要があるという意見も出た。
(文責:渡部 智之)


(2013年11月13日作成、2014年1月15日更新)